負け戦

2019年12月23日

負け戦
私のような人間から、主ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は預言者の印章に過ぎず、使徒の印章ではないと突然告げられ、信仰を妬む多くの人々に対して、あなたが示してくださった対応に感謝します。私たちの中に、使徒の印章通りと呼ばれる通りのそばで育ったこと、使徒の印章と呼ばれる学校で学んだこと、使徒の印章と呼ばれる薬局で薬を買ったことがない人はいません。イスラム教徒として生まれた時から私たちの心と精神に深く根付いているこの信仰は、私のような人間が一冊の本で変えるのは難しいものです。この信仰は何世紀にもわたってイスラム教徒の間で広まり、誰も疑問を呈することを許されないイスラームの第六の柱のようなものになっています。そうでなければ、今私の身に起こっているように、この信仰を否定した者は罰せられるべき背教者とみなされます。
本書(『待望の手紙』)を執筆中、私は自分が負け戦に突入するだろうと悟っていました。その結末は聖クルアーンで既に分かっています。そのため、本書の執筆中は何度も中断し、完成させることを躊躇しました。なぜなら、この戦いの結末は明白で、そこから得られるのは、避けたかった侮辱と非難だけだと確信していたからです。
あなた方に申し上げたように、この戦いは私の戦いではなく、私たちの時代に現れるか、私たちの子供たちの時代に現れるか、あるいは私たちの孫の時代に現れるかに関わらず、来るべき使徒の戦いです。彼は狂人として非難されるでしょう。そして、彼がイスラム教徒から非難される主な理由の一つは、彼らが真のイスラームに立ち返るまで、自分は至高なるアッラーからの使徒であると告げ、さもなければ煙の責め苦が彼らを覆うことになるからです。そして、この使徒には、至高なるアッラーがその呼びかけを支持するという明確な証拠があるにもかかわらず、人々は彼から背を向け、狂人として非難するでしょう。なぜなら、彼らは何世紀にもわたって、至高なるアッラーは私たちの主ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)と同じ法を持つ新しい使徒を遣わすことはないと信じているからです。
この来たるべき使徒は勝利し、地球の空を満たす澄んだ煙の兆候の結果として、苦痛に満ちた拷問と数百万のイスラム教徒の死を経験した後、イスラム教徒は彼を信じるようになるでしょう。
イスラム教徒に来たるべき苦難を警告する私の試みはすべて惨めに失敗するだろう。なぜなら、聖クルアーンには、人々は来たるべき使徒を信じず、手遅れになってから信じるだろうと記されているからだ。
いや、彼らは疑って遊んでいるのだ。(9) だから、天が目に見える煙を出し、(10) 人々を包み込む日を待ちなさい。これは痛ましい懲罰である。(11) 主よ、私たちから懲罰を取り去ってください。本当に私たちは信者です。(12) どうして彼らは、明白な使徒が来たというのに、その警告を受け入れるのでしょう。(13) そこで彼らは背を向けて言った。「気が狂った教師だ。」(14) いや、われはしばらくの間、懲罰を取り去ろう。いや、あなた方は今信仰しているのだ。(15) われが最大の打撃を与えるその日に、われは必ず報復する。(16) [アド・ドゥハーン]
私は負け戦に突入したことを重々承知していますが、良心が安らぎ、私が得た知識を得るため、そして審判の日に人々が私に「なぜ私たちに知らせず、警告しなかったのですか」と尋ねず、私が地獄の民となることがないように、私はそれに突入したのです。
神に感謝あれ。この本を出版した後、たとえこの戦いに敗れ、名声を全て失うことになっても、私は何の後悔も感じないだろう。いつか人々は真実を知り、私が正しかったことに気づくだろう。しかし、それは次の使徒が現れた後であり、その時はもう手遅れだろう。
聖母マリア(彼女に平安あれ)の幻影の解釈は、その幻影から約 5 か月が経過した後に地上で実現しました。 

jaJA